Zと種死の差
種死を観ていて一番良かったことは、
第3次スパロボαのCMを見れたこと。
それが俺のジャスティス。
先日、東京MXTVで再放送のZガンダムで『永遠のフォウ』が放送していた。
クワトロ 「戦いの中で人を救う方法もあるはずだ。それを探せ!」
それに対してのカミーユのセリフ。
(ちなみにクワトロ大尉には聞こえてません)
カミーユ 「あるわけないだろ、クワトロ大尉の言うことのほうがよっぽど理想論だ。」
このセリフ回しを聞くと、やっぱりガンダムって面白いなぁを再認識します。
ガンダムと言う作品は、単純な正義と悪という構図ではなく、
敵味方関係なくそれぞれの正義を持っていることが評価されました。
(人によっては「それはファーストだけだ!」と言う人もいますが・・・)
でも今回の『永遠のフォウ』は戦争のおける、理想と現実のぶつかり合いも
うまく表現していたことに今更気づきました。
いままでガンダム好きを自負していたのになぁ・・・、反省。
さて、話は変わって種死のPHASE‐35 『混沌の先に』。
いくら核エンジンのスイッチを切っていたとしても、
あの大爆発で大したケガのなかったキラキュン。
さすが嫁(両澤)補正だ!超展開も平気で書いちゃうぜっ!
フリーダムを撃墜したシンに殴りかかるアスラン。
そしてこの発言。
「アイツはお前を殺そうとしてはいなかった!」
・・・、万が一と思い先週のビデオを見返してみましたが、
やっぱりキラのフリーダムはシンのインパルスのコクピットをぶった切ろうとしてました。
つーか、コクピットは狙わないハズじゃなかったのか、キラは。
シナリオの致命的な欠陥も嫁クオリティーってやつでしょうか(‘A`)
そしてなにより観ていて不快になること。
アークエンジェル、もといキラとラクスが絶対的な正義で書かれていること。
曲がりなりにもガンダムの名を語っているのに
絶対的な正義を語られても困ります。
つか、種死でキラが連合でもザフトでもなくなってから
ますます、キラ&ラクス=正義となった気がするのは気のせいですかね。
(キラのせいで少なくてもハイネとステラが無駄死にしましたが)
当初、Zガンダムがあのカミーユの成長物語の側面を持っていたように、
種死はトンデモなシンの成長物語になると思っていた・・・、いや、思っていたかった。
でも今のシンを見ていると腹立つというより、空しくなります。
ちょっとでも期待した私がバカだったよ(‘A`)
種死も終了まであと1クールちょい。
残り10数話でどこまで話の収集をつけるか分かりませんが、
ロクな終わり方は期待できない気がする。
・・・、なんか種死のことを書くとツライことが多いですね・・・。
最後まで読んでくれた人、ダラダラとした文章になってしまい正直スマンカッタ orz